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紀州のドンファン事件で元妻に「無罪」判決が確定し、事件は未解決のまま終結しようとしています。
今回は日本の過去にあったヤバい未解決事件を調査していきたいと思います。
それではどうぞ!
紀州のドンファン事件以外にもあった最大級の未解決事件
ここでは日本警察史上最大の未解決事件と言われる警察庁長官狙撃事件について詳細をまとめてみました。
事件の概要
日時 | 出来事 | 詳細 |
1995年3月30日午前8時31分 | 國松警察庁長官狙撃 | 自宅マンション前で待ち伏せしていた犯人により銃撃。腹部に3発命中。奇跡的に一命を取り留め2ヶ月後に復帰。 |
同日 | 使われた拳銃はコルトパイソン及びホローポイント弾で制度と致命的威力を上げている。 遺留品として朝鮮人民軍のバッジと大韓民国の10ウォン硬貨が残されていた。犯人は自転車で逃走。 | |
同日 9時30分頃 | テレビ朝日に犯行声明 | 国松長官の次のターゲットとして警視総監、内閣情報調査室長らの名前を上げ、10日前に起こった「地下鉄サリン事件」のオ◯ム真理教教団への捜査を辞めるように脅迫した。 |
その後の動き
- 警視庁公安部は教団の関与を疑って、事件解決は時間の問題だろうと思われていました。
- しかし、教団は事件への関与を完全否定、長年犯人を特定できませんでした。
新たな容疑者
事件は進展がないまま、数年が経過しました。ここで新たな動きが出てきます。
- 2002年11月22日名古屋の銀行で変装した男が警備員を銃撃して現金輸送車から現金5,000万円の入ったバッグを奪い逃走する事件が発生。
- 犯人は逮捕された。この時逮捕されたのが当時72歳の中村泰という人物だった。東大理科二類を中退後殺人、強盗の前科あり。
- 中村はこの時2丁の拳銃と70発の弾丸を所持。完全黙秘が続いたが、家宅捜索を行ったところ国松長官狙撃事件に関する大量の資料が発見される。又、貸金庫には16丁の拳銃、マシンガン、手榴弾など大量銃器が見つかる。
この時点で公安部は教団を継続捜査、刑事部は中村の聴取に本格着手しました。
中村泰という男について
刑事部の捜査は継続してついに完全黙秘だった中村が自供を始めます。
- 中村が50代の頃いつの日か「武力革命」をとの野望を持ち、アメリカに渡り射撃訓練を行っていた。この時ハヤシという日本男性と意気投合し、秘密工作機関「特別義勇隊」を結成。
- その後アメリカで大量の武器を購入し密輸。
- 日本に帰国後しばらくすると教団による「松本サリン」事件が起こる。これを知った中村らが、当初は教団を打倒しようと、教団がサリンを製造していた第7サティアンを爆破する計画を企てる。
- そんな中、「地下鉄サリン事件」が発生、中村らの計画は未遂に終わる。
- いつしか彼らの怒りの矛先は、未然に「地下鉄サリン事件」を防ぐことのできなかった、警察へと向いていった。
- 国松長官を銃撃して教団による犯行と見せかけるという計画を企てる。
思想的にかなり危ない考えを持っていたようです。
中村泰が真犯人たる要素として次の点が挙げられます。
- 犯行時のバックの特徴を知っていた。
- 朝鮮人民軍のバッジを残したことも供述。
- 逃走に使った自転車を乗り捨てた場所の確定。
犯人しか知り得ない情報を多数引き出す事に成功しています。
しかし中村が真犯人で間違いないと思われていましたが、中村は逮捕されることはありませんでした。
こうして2010年3月30日長官狙撃事件は時効を迎えました。
事件時効のその後
事件の時効を迎えた時点で警視庁公安部は次のような発表を行いました。
「オウム真理教の信者グループによる犯行と結論付けた」
どうも公安部と刑事部での捜査による小競り合いが原因で、刑事部が中村を逮捕できなかった模様です。
公安部の保身とも思われる行動とも捉え兼ねられません。
ここに元警視庁刑事部佐久間正法さんのコメントがあります。
公安部が組織として犯人はオウムだと結論付けて捜査をしていたところに刑事部が見つけた中村という男が犯人だとするとメンツ丸つぶれとなることより、自供をもみ消したと考えられている
このような流れがありましたが、中村泰は別事件で服役中だったが2024年5月に亡くなっています。
中村泰の最後の言葉です。
「私が長官襲撃の実行者であることは絶対の真実である」
以上が警察庁長官狙撃事件の事となりです。
まとめ
今回は紀州のドンファン事件以外にもあった未解決事件について調査してみました。
あくまでも推論、予想も入っており、信じるか、信じないかはあなた次第です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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この時点で捜査方針が公安部、刑事部で別れました。